承認欲求との付き合い方

東野圭吾容疑者Xの献身』(文春文庫、ISBN978-4-16-711012-3)384頁より。天才的な数学者の考えを描写した場面。

誰かに認められる必要はないのだ、と彼は改めて思った。論文を発表し、評価されたいという欲望はある。だがそれは数学の本質ではない。誰かが最初にその山に登ったかは重要だが、それは本人だけがわかっていればいいことだ。

達観の域である。欲望を認めつつも自分に取って必要なものは何なのか、何が本質であるのかを突き詰めている。数学者ならではの思考であろうか。

初出は2003年から始まった連載ではあるが、SNS全盛の時代に生きる我々に示唆を与えてくれる言葉だ。我々は承認欲求という欲望に過度に振り回されてはいないか? あなたの楽しんだ体験はそれだけで十分に価値があるものではないのか? 行為の本質を考えることで、欲望との程よい距離感を保つことが可能になるであろう。

この数学者の域に達することは困難ではあるが、折に触れて思い出したい言葉である。 

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

 

 隣人が前夫を殺害してしまったことを知った高校教師の石神がその犯罪を隠蔽するために天才的な頭脳を働かせる。それに対するは偶然にもこの事件を知ることになった石神の大学時代の親友である物理学者・湯川学。

ガリレオシリーズ初の長編作品であり、第134回直木賞受賞作。早川書房『ミステリマガジン』誌上も巻き込んだ「本格ミステリ」論争も引き起こした快作である。

「やる気」があれば問題は解決するのか

森博嗣『少し変わった子あります』(文春文庫、ISBN978-4-16-774302-4)148頁より。主人公の大学教官と後輩の会話シーンでの発言。

「気にすることはないさ。やる気なんてものは、誠実な仕事にはまったく邪魔な存在だよ」私は言った。「どんなにやる気があったって、人間は数メートルしかジャンプできない。人を月まで送ったのは、そんな単純でいい加減な意志ではなかったはずだ」

興味深い考察だ。大抵の問題は「やる気」だけで解決することはできないものだ。一方、主人公は「意志」にも着目している点は見逃してはならない。ある問題に直面しているならば、問題解決の意志を持つことは重要なことなのだ。

精神論で物事を進めてしまいそうになるとき、この台詞を思い出すことは有意義であろう。 

少し変わった子あります (文春文庫)

少し変わった子あります (文春文庫)

 同僚に紹介された不思議なレストランに通うことになる主人公。毎回違った女性と食事をとるという体験の中で、自身のもつ考えを深めていく。時には新たな知見を獲得する。読者もまた、主人公の思考を追体験していくことになる。哲学的な小説である。